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このエッセイは、最初はクレヨンハウスの月刊「音楽広場」に書いたもので、現在は「リトルドッグプレス」のホームページに連載しています。それをこちらでも見られるようにしました。今までおもちゃのついて書かれたものは多く『白木の温もりの手作りのまごころ』のように情に流れるか『○○力を育てるにはこういうおもちゃがいい』式のガイドブックです。そうではなく、きちんとしたおもちゃ批評を確立したいと思っています。
ここは、作品を作る過程で、また、日常の中で思いついたことを、書きとめているページです。また、急ぎの情報などもここで紹介します。
一気にガーッと寝た。
起きたら10時だ。
旅で一緒になった人の中には
明日から普通に出勤ですという人もいたし、
こういう時、自由業でよかったとつくづく思う。

朝食を食べてジムに行って汗を流す。
これで時差ボケは終わり。
午後はメールの返事や手紙の返事書きで終る。
今回の飛行機は直行便なので楽だ。
しかも東ヨーロッパは
日本に近いので10時間のフライトですむ。
映画2本とスマホで読書。
日本時間で朝の9時過ぎに成田に着く。
ここでみなさんとおわかれ。
岩城さんもここから乗り継いで伊丹に飛んでいく。

1人になり、京成で直接、五反田に入り、山村歯科へ。
これは行く前から予約を入れてあった。
今日はぼくの誕生日。
旅行中にレストランで旅行会社から
特別のおみやげをいただくサプライズがあって
嬉しかったが
ここでは歯ブラシを2本いただく。
ありがとうございます。

夕方のあずさで小淵沢に戻る。
ポーランド最終日。
フライトは午後2時なのでホテルを出るのは午前11時半。
それまではフリータイム。
限られた時間だが、ずっとホテルにいるのはもったいなさすぎる。
昨日は早起きして近くの公園を散歩したが、今日は遠出しなければ。
たいていの人は昨日の旧市街までバスかタクシーで行って買い物するか
駅近くのスターリンの置き土産といわれる文化科学宮殿の展望台に登るかを考えているよう。

こういうとき、岩城さんといっしょだと強い。
互いに行きたいところを言い合うと
岩城さんはユダヤ教会とユダヤ歴史博物館。
ぼくはワルシャワ蜂起記念館。
で、岩城さんが夕べのうちに
持参のタブレットを駆使して
バスの路線や時間まで調べに調べて
両方回るコースを策定してくれた。
ぼくはそのプランにのるだけ。

7時半に二人でホテルを出てバスに乗る。
この町のバスは停まったら
乗る側がドアの横のボタンを押さないと開いてくれない。
前の人がそうしたのでわかった。
寒い国ではその方が合理的だ。

チケットは買えば、同じチケットでバスでも路面電車でも地下鉄でも乗れる。
それも距離でなく時間制で20分チケットと75分チケットがあって値段が違う。
75分以内なら何本乗ってもどこまで行ってもいい。
 そういうしくみは去年ブタペストの市電で学習した。

でバスでユダヤ歴史博物館。ただし、まだ開館時間までは2時間もあるので
外観のみ。
今度は路面電車に乗ってユダヤの教会へ。
正面にユダヤの星がついている協会はふだんなら入れるはずだが
今日は日曜日でミサがあり、入れなかった。
 ここから地下鉄に乗ってワルシャワ蜂起記念館。
10時開館と同時にとびこむ。
開館前から行列ができていてすでに人でいっぱい。
日本語のガイドレシーバーを借りて中を歩き回る。
 ワルシャワ蜂起関連の実物をたくさん置いた、臨場感のある、とてもいい展示だ。

それにしてもワルシャワ蜂起はいたましい。
1944年の夏、ソ連の赤軍がドイツに占領されているポーランドに入り込んできて
ドイツ軍を攻撃し、首都のワルシャワまで10キロの地点にせまる。
赤軍はワルシャワの市民に「共に決起せよ」とプロパガンダを流す。
ワルシャワ市民が故国のために
武器を持ってドイツ相手にたちあがる。
怒ったヒットラーが徹底的な壊滅を命ずる。
ところがここに来て頼みの綱の赤軍は傍観してワルシャワに入ってこない。
ワルシャワ市民にすれば、二階に上がってはしごを外された形。
「ソ連に乗せられたポーランドが甘い」といえばそれまでだが
完全に翻弄された形でワルシャワは破壊しつくされ、
20万を越える人が2か月の間に亡くなり、蜂起は鎮圧されて終わる。
そのあとに赤軍が入ってきて、戦後はポーランドを
ソ連の衛星国にしてしまう。
 自国は侵略などしないのに、
ヒットラーのドイツとスターリンのソ連にはさまれた場所にあるため
両方からひどいめにあっているというのが、ポーランドの近代史だ。

もっと見たいが残念ながら集合時間が近づいている。
また地下鉄とバスをのりついで
11時半に無事にホテルに戻る。
11時45分ホテルをみんなで出発。
ワルシャワ・ショパン空港へ向かう。
今日は一日ワルシャワ。
大学で日本古代史を専攻したという
きれいな日本語を話すポーランド人女性の案内で
まず旧市街へ。
ワルシャワはクラクフと違い、1944年のワルシャワ蜂起で
ナチスドイツにボロボロにされ、市内のほとんどが瓦礫になった。
 だが、その後、写真や絵画をもとに、意地になったように
元通りの街をめざして復興した。
 それでも、さりげなく家の壁に銃弾の跡が残っていたりする。

かっての王宮から旧市街広場を歩き、キュリー夫人の博物館へ。
そのあと、故郷のポーランドについに帰れないまま
客死したショパンの心臓をコニャック漬けにしたものを
柱に納めたことで知られる聖十字架教会。
 もちろん心臓を見られるわけではない。柱を見るだけ。
つづいてショパン博物館。
 ちなみにポーランドで一番の有名人はショパン。
それからローマ法王のヨハネ・パウロ二世。
キュリー夫人。コペルニクス。連帯のワレサ。
映画監督のアンジェイ・ワイダとロマン・ポランスキー。
でも誰もが知っているとなれば圧倒的にショパンになる。

午後はバスで郊外のショパンの生家へ。
でも、ぼくもショパンの音楽は好きだけれど
ショパンの生まれた家の間取りがどうなっていたかなんていうのまでは
興味がない。
ショパンチョコだけ買って終了。

夕方、市内に戻り、ショパンが来ていたという
おそろしく古いレストランで夕食。
「ショパンはよく、そこのすみの席に座っていました」という
まるで見ていたかのような店側の説明にのせられて
その席にすわって記念写真。

さらにピアノのミニコンサートへ。
地元の男性ピアニストがひく。
ぼくは指使いが見えるよう、一番前の左側にすわる。
もちろんオールショパンプログラム。
「子犬のワルツ」「幻想即興曲」「軍隊ポロネーズ」
「英雄ポロネーズ」「別れの曲」など。
どれをとっても聞いたことのあるメロディーばかりで
嬉しくなる。
やっぱりショパン、すごい。

ショパン三昧の一日を終え、ホテルに戻り、
遅くまでやっているスーパーに歩いて買い出しに行く。
明日は帰国日。
外国での最終日は焼きたてのパンを買うのが毎度のこと。
ゲットして荷造りにかかる。
今日はワルシャワへの移動日。
途中、寄るところは一か所だけ。
朝の8時に出発。
ポーランドはほんとに平らな国で
途中の景色は見事に変わらない。
特徴のない平原と木立が右も左も地平線まで続くだけ。
ぼくも異国にいて、ふだんなら車窓の景色を見続けているが、
今回はさすがに飽きて途中で寝たり、さらには読書もした。
で、1時間経過して窓に目をやっても
まったく景色が変わっていないのに驚かされる。
そういえば、ガイドさんによると、英語ではポーランドだが
正しい国名はポルスカで
その語源は「野原」を意味する「ポーレ」だそうだ。
「ポーレシュカ・ポーレ」なんて歌もあったが
ほんとに「大地」ということばがぴったり来る。

で、なにもしないままお昼まで走って
チェンストホーヴァの街のレストランで昼食となり、
そのあと、ヤスナ・グラ修道院へ。
ここはポーランド随一の巡礼の聖地で
大勢の人が集まっていた。
修道士さんの案内で聖母画「黒いマドンナ」のある部屋へ。
大勢の人が静かに絵の前で祈っている。
敵に攻められたときも、この絵のあるこの町だけは陥落しなかったのは
この聖母が奇跡を起こしてくれたからと修道士さんが説明してくれた。
ぼくらは観光客だから帽子をとって入るくらいだが
巡礼の人は膝をついて膝行して寺内をまわるそうで、
一列になって歩いていて、ぼくのあとの人がなかなか来ないと思ったら
ほんとうに膝を床につけて歩いていた。

またバスに乗り、夕方、ワルシャワの街に入る。
さすがに大都会で高層ビルも多い。
渋滞も激しい。
ワジェンキ公園という広い公園にあるショパンの像を見、ホテルへ。
昨日今日はヴロツワフに連泊。
今日はバスでさらに西のボレスワヴィエツに向かう。
ここは陶器で有名な町。
最近、ポーランドの食器はかわいいと人気。
水玉模様がベース。
八ヶ岳のアウトレットでもたくさん売られている。
その本家がこの町で、そこかしこに窯元があって
世界中に輸出されている。
職人さんが絵付けしているところを見せてもらい、
そのあと買い物。
ほんとにかわいい。
小皿を買う。

途中、これも世界遺産のヤヴォルの平和教会を見学。
ヨーロッパの大きな教会はたいてい石づくりだが
ここは木製。いい。
木がいいなあと思うのは日本人の血なのか?

ヴロツワフに戻り、夕食後は岩城さんと
街で一番大きいというデパートへ。
本、おもちゃ、文房具の売り場など。
どこも品ぞろえのセンスがよく、見ていて飽きない。
日本にあったら、しょっちゅう通うのに。
ポーランドは基本的に日本より寒い。
しかも3月になって暦の上では春だが
連日どんよりしている。
今日もそう。
なぜかポーランドのイメージは灰色で、そのイメージ通りの日になった。

朝、バスでクラクフから60キロ離れたアウシュビッツ収容所へ。
いよいよ来たという感じ。
自分の道徳の問題として、若い頃からいつかは訪れなければと勝手に思っていて、
しかし物見遊山で行っていいのかという思いもあって、後回しにしているうちに
こんなに時がたってしまった。
 本での知識なら人一倍あるつもりだけれど、しかし、その土地の空気は
行って見なければわからないということもまた、人一倍わかる歳になった。

さすがに世界中から人が来ている。
駐車場はバスでぎっしり。
若者が多い。
グループごとに手荷物検査を受けて入場。
すぐに、映画で必ず見る「働けば自由になる」と書かれたアーチをくぐる。
もちろん、これは大ウソで戦争が終わる前に出られた人はいなかった。
約150万人がガス室や人体実験で命を落としたと言われている。
その大半がユダヤ人で、文字通りの絶滅収容所だった。

たてものごとに展示が違っていて、死者たちが残して行った遺品の
めがねや靴やカバンがそれぞれ山になっていて、
信じたくないが、これが本当にあったことだと否応なく知らされる。

でアウシュビッツで感じたことを全部書くと
とても1日の日記には書ききれないので
いずれということにして
とりあえず見たものだけを書くと
「死の壁」といわれた中庭の、規則違反者を後ろ向きに立たせて銃殺した場所。
わざと立ったままでしか過ごせないようになっているせまい牢屋、
真っ暗闇の牢屋、
コルベ神父が餓死刑になった牢屋、
ガス室。
ヘス所長が吊るされた絞首台。

そのあとバスで5分移動して、ビルケナウの収容所へ。
こちらはアウシュビッツよりはるかに敷地が広い。
正面に死の門といわれる門があり、まんなかにレールが
ひかれている。
 そこを抜けたところが降車場で、映画で
大勢のユダヤ人が貨物列車からおろされるシーンがあるが
それがここ。
 あまりにたくさんバラックがあって全部は見きれないが
まずトイレ棟を見学。
収容者たちがトイレに行けるのは1日2回だけ。
朝と夕方の決まった短い時間に
いっせいに行かされる。
下痢だろうが便秘だろうが関係ない。
夜はベッド棟から出られない。
トイレと言っても壁もドアもなく、長いベンチに
等間隔で何十も穴があいているだけ。

そのあと、ベッド棟へ。
ベッド棟は3段の蚕棚だが、ひとつのベッドに何人もいっしょに寝る。
一番いいのは上段。
いくらかでも暖かい空気が上に来るから。
ただし、雪が降ればすきまからふりつもるけれど。
下段が一番悪くで、寒くて、上段の者が洩らせばまともに浴びるし、
床にいるねずみにかじられる。
 ねずみにかじられて菌でも移れば
働けない者は用済みということで殺されるから
無理して働くしかない。
 トイレ棟に行かれないから床は汚物がいっぱい。
 このトイレ棟とベッド棟を見ただけでも来た甲斐があった。
絞首台や死の壁がショッキングに見えるが
こちらの方が日常なだけに、より非人間的だ。

立ち去りたい思いがあるが、出発時間が近づき、おおいそぎで
買い物をする。
こういう場所なので観光土産があるはずはなく、
本と写真集と絵はがきだけ。

近くのレストランで遅めの昼食。
同行の男性が
「あんなの見ちゃうと飯が楽しくないね」と笑いながら言う。
ああ、いやだ。
もっとも、添乗員さんから聞いた話だが
ポーランドツアーでもクラクフとヴィエリチカ岩塩坑は定番だが、
アウシュビッツをあえてはずすツアーは
けっこうあるとのこと。
理由は楽しくないから。
だから基本の日程からはずして、行きたい人のためにフリータイムに
オプションのスケジュールを組むそうだ。
そうか、そういうものか。
たしかに「旅はそれぞれ」だけれど、
でも「楽しくなくても見ろ」って声が
自分の内側から聞こえてこないかなあ。

それから長時間バスに揺られて
夕方、ヴロツワフの街に入る。
ここの旧市街の広場はカラフルで
おとぎの国にいるよう。
 小人の街として有名で町のそこかしこに
ブロンズの小人の像がある。
増え続けていて今では400もあるとか。
 小人の像だから当然小さく、さがしながら歩くのが
街歩き観光になっている。
 本屋の前では本を読んでいる小人、
パブの前ではへべれけになっている小人、
銀行の前ではATMでお金をひきだしている小人までいる。

夜、岩城さんとまた、ホテルを抜け出して
ライトアップされた旧市街を散歩。
夜中、ビルケナウで昼に買った写真集を見はじめたら
眠れなくなってしまう。
クラクフはポーランドの古都。
ワルシャワに首都が移る前はここが首都で
第二次大戦の時もワルシャワはワルシャワ蜂起で
めちゃくちゃにされたけれど、ここは爆撃をまぬがれ、
古い建物がそのまま残っている。
ちょっと東京と京都の関係に似ている。

午前中はかって王様がいたバベル城に行き、
そのあと国立美術館へ。
ここの目玉は一枚の絵しかない。
ただ、それが超大物で
その一枚だけが明かりを落とした別室に
左右にガードマンを従えて飾ってある。
レオナルドダビィンチの「白貂を抱く貴婦人」。
フリーの時間は20分ということで
みんなはものの2分でよそに行ってしまったけれど
ぼくはこれ一枚で十分。
暗がりで1人で20分、
細部を意識的に見たり、ただボーッと見たり、
絵との対面を独占できた。

お昼は旧市街の中心のマーケット広場へ。
ヨーロッパは街の真ん中が広場になっているのが
いつもながらうらやましい。
民芸品の店がずらり。ポーランドは琥珀が名物だそうで
アクセサリーの店も並ぶ。

広場の一角には高い塔があり、定時に塔の上の窓が開いて
係の人が時報をラッパで告げる。
ところがそれがメロディーの途中でちぎれるように終わる。
 これはかってここの町が敵に攻められたとき、
 敵が来たことを町の人に知らせるために、見張りがここから
ラッパを吹いた。
 ところがそのラッパ手ののどに敵の矢がささり、ラッパ手は途中で息絶えた。
という故事にのっとって、今も一時間ごとに生で吹かれているとのこと。
 というわけで定時が近づくと広場には、それを待つ観光客が増える。
やがて塔の窓が開いて、ラッパの音が響き、ほんとにプツッと終わった。

昼食後はバスで30分ほどのヴィエリチカへ。
世界遺産の岩塩坑へ。
地元のガイドさんの案内でアリの巣のようになった
岩塩坑の中をてくてく2時間歩く。
 中には坑父が岩塩をくりぬいて作った地下礼拝堂やたくさんのモニュメントもあり、壮観。
ただ、クラクフに来る観光客は必ず訪れる場所だそうだが、
ぼくは「明日はアウシュビッツに行ける」ということの方で
すでに頭がてんぱっていて、ここはそぞろに歩いてしまった。

夜は岩城さんと二人でホテルの近くのショッピングセンターまで歩く。
いつものように、おもちゃ屋さんをさがして入る。
朝4時甲府発のバスで成田空港へ。
7時過ぎ着。
友人の岩城敏之さんと待ち合わせて
いっしょにチェックイン。
旅行会社のツアーにまぎれこませてもらう。
毎度のことだけれど、女性の友人同士と言う参加はあるが
男性の友人同士で海外へというのはどうやら珍しいようで
先日の川端さんとの時同様、ぼくらだけだ。

 世の奥様方から
「いいですね、そういうお友達がいて。その点、うちの夫なんて…」とよくいわれる。
でも、なかなか1週間もまとめて休みがとれる男同士っていないだろう。
ぼくらは自由業だ。
 と思ったが、考えてみれば参加する男性はたいていもう、歳が行っていて
仕事をリタイヤした男ばかりなので、時間はある。
たしかに職場を離れると、とたんに友人がいなくなってしまう男性は
多いのかも。

行先はポーランド。
ぼくらの眼目はアウシュビッツだ。
10時間のフライトでポーランドの首都ワルシャワへ。
そのままバスで南部のクラクフへ200キロの移動。
ポーランドはどこまで行っても平原の国で
どちらを向いても地平線のみ。
そのまんなかをまっすぐな道がつらぬいている。
だから国全体の面積としては日本の方が大きいが
日本は山ばかりだから、実際に使える面積は
ポーランドの方が断然大きいは。
そしてその「平らでどこからも簡単に入ってこられる地勢」が
ドイツやソ連の侵入を簡単に許して
苦難の歴史が続くことになる。

ホテルに着いたらもう夜。
ちょっと近所のスーパーに散歩に行っただけで即、寝る。
小淵沢の家から成田空港は遠い。
ただ、甲府から直行の高速バスが出ているので
それを使うと楽。
ただし、都内を抜ける渋滞につかまるとアウトなので
時間が決まっている「行き」はこわくてなかなか使えない。
ただ早朝発はラッシュ前に都内を抜けるのでたいてい大丈夫。

明日の飛行機は朝の便なので、それにあわせて
早朝4時甲府発のバスを予約した。

それにしても世界の国の、都市と飛行場の位置関係を考えると
東京の表玄関をあんなに遠い成田に作ったのは
戦後最大の失敗のひとつだろう。
地元の利益を考える政治家と
航空官僚とで、深く考えずにちゃっちゃと決めて、
あれだけ反対運動されて、
できたらできたで
やっぱり羽田の方が便利でいいといわれて。
 あの失敗から学ぶことはとても多いはず。
 来る外国人には遠くて高くて気の毒と、いつも思っている。
明後日の月曜日から、また旅に出る。
その前にしなければならないこと、いろいろする。
こまかい連絡に机の上の整理。注文のポスターの発送。

その一方で荷物つくり。
向こうは寒いといっても小淵沢ほどではないと思うが
冬の支度で行こう。
この前のオマーンはあたたかいので、着替えはかさばらなくてすんだが
今度はそうはいかない。
でも、汗をかかないからやはり少なくていいか。
紅の保育園では今、大きい子たちがあやとりをやっているらしい。
小淵沢に来て、しきりにあやとりをしたがるので
うちにあるあやとりひもを一本あげる。
ついでにいくつか技を教えた。
「バナナ」をなんとか習得できた。
きっと今頃、保育園で得意げにやって見せていると思う。

それにしても、あやとりを教えるのはむずかしい。
どうやっても一対一でしか教えられないが
自分が両手でサンプルをやってみせつつ、
なおかつ相手もやり、「それは違う」と直してあげたいときに
指がたりない。
 でも、その苦労をのりこえて覚えるので
逆に体が覚えて、何年たっても忘れない遊びになるのだろう。

で、紅が帰ってからも一人で
少しむずかしい技のレパートリーを増やそうと
本とにらめっこ中。


昨日の夜、朋子と紅を車で送って大泉学園の家に着いたのが
九時過ぎ。

今朝は東京駅へ。
八重洲口にある小宮山印刷へ。
おはなし迷路ポスターの新作の相談。
今回は「はじめてのおはなしめいろ」というコンセプト。
字を大きくして、字をおぼえたばかりの子や字が苦手な子が
親や友だちといっしょに遊べるようにした。
まわりの色は明るい赤と明るい黄色で
くすんだ色は使わないことにした。

そのあと乃木坂の国立新美術館へ。
ここの汎美展に、おもちゃばこフォーラムin東京を主宰する
いなずみくみこさんが得意の廃材アートの作品をだしているので鑑賞に。
いなずみさんが会場にいて、高さ4メートルもある
画の説明をしてくれる。
 偶然だが知己のオモチャ作家の
中井秀樹さんと久保進さんの作品もあってびっくり。
なんじゃこりゃ。

そのあと五反田の山村歯科へ。…
「もっとちゃんと磨くように」と、おこられに。

夕方、ものがたりライブ制作部のTさんと食事しながら
夏のライブのうちあわせ。
チラシつくりの時期になっている。
今年は6デイズだが、8月1日〜3日の偕成社のお話の部屋と
17日〜19日のプーク人形劇場で、どう趣向を変えるかと言った話。
偕成社は1回60分で、プークは90分。
 プログラムも当然違ってくる。

夜、雨になる。車で小淵沢に戻る。
昨日、サーカスのことを書いて改めて思いだしたが
ぼくが中学や高校の頃、一番熱中したのは
ミュージカルだった。
 小学生の時、親に映画の「メリーポピンズ」と
「サウンドオブミュージック」に連れて行ってもらった。
それからあとはずっと帝劇や東宝劇場に生を見に行っていた。
生は「オリバー」が最初で、それから染五郎の「ラマンチャの男」、
森繁の「屋根の上のバイオリン弾き」、加橋かつみの「ヘアー」とか
ブロードウェイ系からアングラまで片っ端から見た。
高校ではアルバイトをしていたから、収入はチケット代に消えた。
もちろん寄席や歌舞伎も別に通ったし、
 そういうものが好きな友人なんていなかったし、
いつだって一人だ。
 高校では公害問題の市民活動や学校の教育問題にも首をつっこんでいたから
なんとなく舞台に通うのを公言するのははばかられる雰囲気があって
ほんとにこっそり行っていた。

映画ももちろんいろいろ見たが、まったくなかみを知らないまま
キネ旬の上位に入っていたというだけで行ったフレンチミュージカルの
「シェルブールの雨傘」に、ちょっと価値観が変わった。
 単純なハッピーエンドでないミュージカルもあるんだ…ではなく
これはこれで人生にはこういう幸福の作り方もあるんだというような…
苦みの入った終わり方。
今でもすべてのシーンを思い出せる。

中学の謝恩会ではぼくのクラスは踊りをすることになった。
ぼくは振付担当で、曲はエノケンがだみ声で歌う「サンフランシスコ」。
「ウエストサイドストーリー」のジョージチャキリスきどりで
全員首にネッカチーフをまいて踊らせた。
 これは今、ついでに思い出してしまったが、おぞましい。
振付師はならなくてよかった。

で、ここまで来て思うのは、なんでも見ておくものだということ。
今、ものがたりを作るような仕事についているのは
ほんとにたくさんのものがたりにふれてきたからなんだとつくづく思う。
プロのピアニストとアマのピアニストのなにが違うかと言えば
小さいころからピアノにふれてきた時間が絶対的に違う。
 スケーターもテニスプレーヤーも将棋の棋士も
プロとアマでは、ふれてきた時間が絶対的に違う。
 
ぼくはものがたりにふれてきた時間がやはり長いから
娯楽の力を信じることができる。
 それが短いとつい、いいメッセージがあるのが
いいものがたりなんだとか、御託を並べてしまったりする。
いいもわるいもあるが、とにかく
たくさんのものがたりに心をおどらせるということそのものが
人をいかす道につながっているに違いない。
東京から朋子と紅が来た。
ちょうど今、2月末から4月頭まで
甲府のとなりの甲斐市にテント掛けのサーカスが来ているので
みんなで見に行くことにする。

午前中、朋子たちが甲府駅まであずさで来たのを車で拾って
いっしょにラザウォークへ。
ラザウォークは地元の大きなショッピングセンター。
その横の空き地に大きなテントが立っている。
ポップサーカス。
日曜日ということもあって、けっこうな人出。

昔からずいぶんたくさんサーカスを見て来た。
リングリングサーカスもボリショイサーカスもインド魔術団も
中国雑技団も木下サーカスやキグレサーカスも。
シルクドソレイュのような完成度の高いのもあれば
二家族くらいでやっている貧乏くさいサーカスや
場末のあやしげなのもあった。
むしろ、あやしげな方に妙な親近感を覚えるのだが
ともかく、小屋でサーカスを見る時にある
このワクワク感はなんなのだろう?

ピエロが出てきて単純な失敗をする。
それでみんな笑いころげる。
でも紅はピエロを見て「こわい」ともいった。
よし、その感性は悪くない。

出演者はすべて外国人。
それも北米・南米・アフリカ・中国各地から来ている。
で、ジャグリングもマジックも力業も
どれもワールドクラスの圧倒的なパフォーマンスだった。
最期はサーカスの華・空中ブランコ。
定番中の定番。
こういうのはほんとに定番通りがいいと思う。
おもしろかった。
昨日は将棋A級の最後の戦いの日だった。
A級は全部で10人いて、総当たりで一年間戦い
一位の者は名人と七番勝負を戦うことができ、
逆に下位2名はB級に落ちる。
その最終9回戦は全5戦が同じ日に戦われて
決着がつくのはたいてい深夜になる。
 それが決まる日なので
「将棋界の一番長い日」と呼ばれるようになって久しい。
ぼくも毎年、この日はそわそわする。
誰が好きと言うことはないが、やはり羽生の将棋は好きだ。
ほれぼれするほど独創的な手順で勝つ。
まちがいなく史上最強。

最近で言うと藤井聡太の将棋もスリリングで
棋譜を読んでいて楽しい。
解説者の指摘がまったく当たらない。
踏み込みのいいこと。
切れ味が鋭く、不利になるのに逆転で勝つ。

で、夕べは帰りのあずさの中で
スマホに入れた将棋連盟のアプリで
ずっと棋譜を見ながら来た。
同時進行なので結果を知ったのは帰ってきてから。
豊島が初挑戦になり、羽生は2位どまりだった。

それにしても、今までの新聞の紙面の棋譜は
頭の中に将棋盤を置いて、先手7六歩、後手8四歩なんて
読んでいたが、スマホのアプリの楽なこと。
目の前で駒が一手づつ動いていき、
それに解説者が一手づつコメントをつけてくれる。
盤上が常に見渡せている。

それに前は矢倉囲いに美濃囲いとかたいてい形が決まっていたから
パターンで想像できたが
最近の戦型は角交換が多いし、
王を囲わず中住まいで始めてしまうものや
とんでもないところから戦端を開いたりするので
想像に苦労していた。
アプリは楽だなあ。
今日から三月。名実ともに春になった。
あたたかい。
朝のあずさで東京へ。
渋谷で知人と昼食をしてから
田園都市線で青葉台へ。
近くの榎が丘小学校放課後キッズクラブへ。
ここももう5回か6回おじゃましている。
50〜60人の子ども相手に90分のものがたりライブ。
久しぶりに立絵紙芝居「青空晴之助・峠のゴニンジャー」をする。
終って長津田・八王子経由で小淵沢に戻る。

夜、WOWOWでクラシコ
バルセロナ対レアル・マドリードを見る。