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このエッセイは、最初はクレヨンハウスの月刊「音楽広場」に書いたもので、現在は「リトルドッグプレス」のホームページに連載しています。それをこちらでも見られるようにしました。今までおもちゃのついて書かれたものは多く『白木の温もりの手作りのまごころ』のように情に流れるか『○○力を育てるにはこういうおもちゃがいい』式のガイドブックです。そうではなく、きちんとしたおもちゃ批評を確立したいと思っています。
ここは、作品を作る過程で、また、日常の中で思いついたことを、書きとめているページです。また、急ぎの情報などもここで紹介します。
柳川に来たのは二回目。
初めて来たのは熊本の講演会の帰りで
ふらっと立ち寄った。
 ここは水路の町。
町中にめぐらされた水路の総延長は何百キロにもなるそうだ。
それは昨日、大溝まで歩いてわかった。
ずいぶんたくさん橋を渡った。
その水郷を船頭さんの竿をさす船で下るのが
柳川の観光名物。
ここまで来て、それに乗らない手はない。
今日もオフにする。

初めて来た時は冬で、こたつを入れた乗り合い船だったが
定時になっても客はほかに来ず、
ぼく一人船頭一人で岸を離れて、ずいぶん恐縮した覚えがある。
乗船時間は一時間。
そのとき、ぼく一人のために若い船頭さんは説明し
冗談を言い、歌を歌い、ほんとにがんばってくれた。
だが、今回はうってかわって春らんまん。
しかも昨日の雨はどこへやらの上天気。
岸辺にはつつじが咲いているし、お客も台湾からの団体さんで
ほぼ満杯だった。

下船の後は奮発して柳川名物のうなぎの蒸し焼きでお昼を食べ、
北原白秋記念館をのぞき、岸辺をぶらぶら歩いて、宿に戻った。
日本の春を満喫した一日になった。
朝、電車で大牟田まで行き、北上を続ける。
大牟田は三池炭鉱があったところで、
子どもの頃のぼくは三池炭鉱と筑豊炭鉱の区別がついていなかった。
盆踊りの定番だった炭坑節の「月が出た出た 月が出た 三池炭鉱の上に出た」で
三池炭鉱という名は知っていたが。
1963年に大きな爆発事故があった。
450人亡くなり、その倍の一酸化中毒者をだした。
ぼくが小学生の時のことで新聞の一面に大きく見出しが
載っていたのをうっすら覚えている。
 市内には炭鉱関連の記念の碑とかが残っている。

そこから歩き出して、今夜の宿の柳川をめざす。
有明海の干潟に近づいてくると
道は平たんで周囲は、だだっぴろくなる。
ときどき雨が混じるようになり、
今回初めて傘をさして歩く。
雨だと休むところもないし、逆に歩ははかどる。
昼過ぎに柳川に着いてしまう。
 宿は駅前なので、もう終わりにして
柳川名物の川下りをすれば楽しいが、雨だ。

明日の分を歩いてしまうことにする。
西鉄の線路に沿って10キロほど歩き、
大溝という駅から電車で柳川に戻る。
まだ雨が降っている。
今日は荒尾か大牟田までだから
そのあたりの宿を予約しようと
スマホをとりだすが、どうやってもどこのホテルもとれない。
土曜日なのでみな満室。
しかたなく熊本まで戻ってくることにしてホテルをあたるが
それもたいていいっぱい。
やっと辛島町で最後の一部屋というのをとれた。
行き当たりばったりの旅はこれが一苦労。

そのかわり、また電車で熊本に戻ってくるので
手ぶらにはなった。
電車で木葉駅まで行き、そこから歩き出す。
じきに菊池川を渡り、玉名市に入る。
そうしたらどこもかしこも「いだてん」というのぼりだらけ。
テレビを見ないので、ちっとも知らなかったが
今、NHKでやっているトジラマ「いだてん」の主人公の
金栗四三の生まれ故郷がここで
ロケもたくさんされたそう。
 で、通りには「いだてん大河ドラマ館」というのができていた。
入場料を払って入る。
けっこうな人。
今年いっぱいは立派な観光地だろう。

また、単調な道を歩き、昼過ぎに荒尾へ。
ジョイフルがあったのでお昼にする。
ファミレスは他の食堂と違って
ドリンクバーさえ頼めば
食後もゆっくりいられるので気楽だ。
荒尾も一度、ものがたりライブをやらせてもらったことがある。

さらにひと歩きで大牟田へ。
ブックオフが道端にある。
歩き旅なので、よほどのことがないかぎり
本は買わないが、古本屋があれば
入らないということはない。また寄り道。

大牟田にはカルタ資料館があって見学し、
駅前へ。
電車で熊本に戻る。
歩き二日分の距離なので電車だと
一時間くらいかかる。
通り町筋で夕飯。
いい天気が続いている。
今日はオフにして一日、熊本の街中で過ごすことにする。
地震の後、熊本の街に来ていないし。
まずは熊本城公園の一角にある県立博物館へ。
歴史についての展示。
ただし、ここはプラネタリウムもくっくいていて、
星は大好きなので時間に合わせて入る。
プラネタリウムはたいてい毎月テーマを変えるが、
いつでも楽しいのは最初にする
「今夜、このあたりで見えるおもな星座」の紹介。
日が沈んでだんだん暗くなって、星がうじゃうじゃ出てくるところ。
うっとりする。

博物館からお城へ。
天気も良く、大勢歩いている。
あの地震からちょうど3年。
いまだにお城の建物には入れない。
石垣はあちこちで崩れ、落ちたままになっている。
修復は20年計画とのことだが、
いったいどうやって直すのか見当もつかない。
ふつうは火災や台風で建物が壊れて土台が残っているところに建物を直すのだが、
ここは上の建物は残っているのに下の土台がこわれて空洞になっている状態。
からくも乗っかっている。
 石はひとつひとつばらばらの形と大きさだし、
これをひとつひとつはめこめるものだろうか?
やはり、上のお城を一度解体するしかないのか?

お城の前にある桜馬場のわくわく座へ。
特別に撮影された地震後の天守閣の中の映像が見られる。
やはり、そうとうの被害だった。

通り町に下り、にぎやかなアーケードを抜けて宿に戻る。
町中クマモングッズにあふれていた。
朝一番のフェリーで熊本に渡る。
一時間の船旅。
島原に来たのは初めてで、天草の乱の舞台になった原城も行きたかったが
まだここからずいぶん南なので断念。
また、江戸時代の大津波「島原大変」や
1991年の雲仙普賢岳の火砕流とか、災害についての展示をした
「がまだすドーム」は行きたかったが
運悪く今週だけメンテナンスで休館とのこと。
これは残念だった。

熊本港から市内へは単調な道。
昔からの港町は趣きがあるが、新しい港はただまっすぐな広い自動車道が
あるだけでおもしろいことはなにもない。
もくもくと10キロ歩いて熊本駅に着く。
今日の宿は駅前にとったので、荷物を預け、空荷でさらに歩けるだけ歩くことにする。
めざすは18キロ先の田原坂。
西南戦争の激戦地。
うちの父がよく「雨はふるふる、人馬はぬれる」と田原坂の歌を歌っていた。

上熊本は市内の道でそこから先は田園風景。
やがて丘陵になり、夕方、田原坂に上がる。
ここには田原坂の戦闘の資料館があり、
ここに来るのも島原→熊本コースに決めた理由の一つだ。
西南戦争は物量や補給を考えたとき、どう考えても薩軍が勝てる戦争ではなかったが
それにしても、熊本城攻めがよかったのかどうか、
もう少しうまく戦えなかったものかとは思う。
あまりに正面からつっこんで、みんなむざむざ死んでいる。
 それなのにそのやり方がなぜか称賛されて
日露戦争の旅順攻略戦から太平洋戦争のガダルカナルまで
踏襲される。
 全然いい結果が出ていないのにだ。
日本の近代は、いい指導者が出なかったためにほんとに大勢死んだと思う。
 田原坂を木葉駅に下り、そこから電車で熊本に戻る。
昨日、テレビで大雨の予報があり、やれやれと思っていたが
なんとホテルに入った夕方から降り始め、
夜中ザーザーで朝になったらきれいにあがっていた。
ついている。

電車で昨日の駅まで行き、そこから海沿いを歩き出す。
「がまだせ国見」との看板があちこちにあり、なにかと
思ったら、ここは高校サッカーの名門・国見高校の地元だった。
「がまだせ」は「がんばれ」のことだろう。

昼過ぎに島原の街に入る。
風情のある武家屋敷跡の通りで休み、
名物の寒ざらしをいただく。
小さな白玉を蜜につけた江戸時代のスイート。

島原城へ。
ここは島原の乱とキリシタン関係の資料が圧巻。
時間をかけてゆっくり見る。
踏絵の板が展示されている。
一枚の絵を踏むことができず、そのために死を選ぶという
まっすぐすぎる心根がいたましい。
 そんな調べ方を発明したのはいったい誰なんだろう?

二日間、ひたすらぺたぺた歩いたので
天守閣から島原の街を見下ろし、意外な広さに驚く。
船着き場近くのビジネスホテルに入る。
今年からは帰り道。
長崎から、九州の出口の門司までの帰り道はいくつかある。
来た時と同じ諫早→佐賀→鳥栖→博多と行くコース。
諫早→大村→武雄→佐賀コース。
長崎→佐世保→伊万里→博多コース。
どれも魅力的だが結局、島原半島を有明海沿いに歩き
島原から熊本に船で渡るコースに決める。
「島原」という音の響きに魅かれた。

諫早からペタペタ歩き出す。
ほんとに平ら。
島原鉄道に沿っているので、ときどき黄色い一両だけの電車が
横を過ぎていく。
正面に荒々しい雲仙普賢岳がドーンとある。
一番高いところにドームと呼ばれるとんがりが見える。
神代という駅まで歩いたところで夕方になる。
このあたりに宿はなく、島原鉄道で諫早に戻る。
ホテルの裏のスーパーで弁当を買って夕食にする。


昨日の夜中に小淵沢から乗った夜行バスは
朝の6時20分に京都駅に着くる
その30分後に西に向かう新幹線の一番列車が出る。
それに乗って博多へ。
特急かもめに乗り継いで長崎へ。

昨年のゴールは長崎だった。
四月歩き旅の六年目は、ここから東に向けての
折り返しになる。
長崎県はタコの足のような形をしていて、
県庁所在地は長崎市だが
実際の行政を考えると
諫早が県の中央にあって
四方にひろがりを持ち、一番便利な気がする。

 一年ぶりに来たら、諫早駅は豪華な駅舎に
うまれかわっていた。
昨年は地元のサッカーチーム「Vファーレン長崎」が
ついにJTに上がったと駅前も大盛り上がりだったが
1年でまたJ2に落ち、静かなものだ。
昨年泊まった駅前のビジネスホテルへに入る。
毎年4月に歩き旅をするようになって
今年で6年目。
いつも4月1日に出発していたが
今年は原稿の都合で1週間遅れになった。
いつも桜の下を歩いているのだが
今年は葉桜かなあ。
昨年、とうとう西の端の長崎に着いたので
今年からは折り返しにするつもり。
5年計画で東京に戻ってきたい。

これから荷物を作り、今夜遅くの夜行バスで京都まで行き、
明日の早朝、新幹線で九州に向かう予定。
旅日記は帰ってきたら、まとめて書きます。

5月3日〜5日の上野の森親子ブックフェスタで
5日の午後2時から2時45分まで
イベントテントでサイン会をやらせてもらいます。
新刊「こんどこそは名探偵」も先行発売。
絵本・児童書のブースもたくさん出るので
よかったら、おでかけください。

夏のものがたりライブのチラシも
制作のこだぬき企画さんが鋭意作製中。
これも絶対来てくださいね。
「マイ・ブックショップ」は
現在あちこちで上映中の映画。
1950年代のイギリスの田舎町で
自分の理想の小さな本屋を開くためにがんばる女性の話。

見たいと思っていたら、もうすぐ塩尻の東座で
やってくれることになった。
これで銀座まで行かないですむ。
ほんとにありがたい。
東座も、自分がいいと思う映画を上映するために
がんばる女性Gさんの夢の映画館だけれど。

で、今日は東座で「ちいさな独裁者」を見る。
実話をだそう。
第二次世界大戦の末期、敗色濃厚のドイツでは
脱走兵も大勢いた。
その1人の若者が偶然、士官の軍服を手に入れ
なりすまして生き延びる。
 で、最初はばれそうになるたびに「がんばれ」と
主人公に共感して見ているが
権力を持つ気持ちよさはおそろしいというか、
この主人公がだんだん兵隊に命令して
他の兵を銃殺させるようになっていく。
あとはもう、ただ、見ているだけしかなかった。
北杜市は8つの町村が合併してできた町なので
とても広い。
かつ、北は八ヶ岳のてっぺんから南は南アルプスのてっぺんまで
入っているので、標高差もはんぱない。
 桜の開花も同じ市内なのに一か月くらい、ずれたりする。

で、小淵沢はまだまだなのに
同じ市内の武川では満開。
ここには山高の神代桜があり、
これは根尾の薄墨桜、三春の滝桜とともに
日本三大桜のひとつ。
 樹齢2000年は日本一古い桜ということになっている。
それが満開ときいたたので、めでに行く。
このところ、四月は一日から
歩き旅に出ていたので
5年ぶりに行くことになる。
あちこちから観光バスもたくさん来ている。
いい天気で、青空と南アルプスの残雪と
満開の桜と、地面の黄色い水仙のとりあわせが
絵はがきのよう。

神代桜は三春の滝桜のようなゴージャスな桜ではない。
古すぎてもう幹は崩れてこぶのようになり、
枝のあちこちは下からつっかい棒をあてがわれたり、
上からロープでひっぱられたり、
もう満身創痍に見える。
 でも、それがちゃんと花をつける。
 その左右にははるかに若く
はるかに背が高く、たくさんの花をつける
ソメイヨシノがあるが、
まあ、キャリアが違うというかオーラが違うというか
ほんとに往年の大女優のように
りんとした花をつける。
ああ、今年もお元気でなによりです、と頭をさげたくなる。

帰りに薮内正幸美術館に寄る。
館長の竜太さんがいて、やあやあ。
ここの動物の絵は大好きで見飽きない。
先日、デンマークで女子のカーリングの世界選手権をやって
日本は4位になった。
で今は、カナダで男子のカーリングの世界選手権をやっている。
衛星放送で中継しているので
つい見てしまう。
1試合に3時間もかかるのが難点だが
見だすとやめられない。
身体をはったビリヤードみたいなもの。

その日本の男子チームが強いこと強いこと。
予選は13の国が総当たりで12試合するが、
なんと日本は現時点で8勝1敗でトップにいる。
3試合残してさっさと上位6チームが出る
決勝リーグへの席を確保した。
それにしてもヨーロッパや北米の強豪国を
向こうに回して、ここまでの成績はすばらしすぎる。
時間が夜中でこまるが
もうしばらくは寝不足が続きそう。
甲府に映画「グリーンブック」を見に行く。
今年のアカデミー賞作品賞をとった映画。
これは絶対のおすすめだった。
「ライフ・イズ・ビューティフル」とか「ショーシャンクの空に」とか
「ニューシネマパラダイス」とかと同ランクの、あとあとまで残る傑作。
ぜひ、映画館でやっているうちにどうぞ。
 
 まだ黒人差別がろこつな1960年代のアメリカ南部が舞台。
ただ、「差別はいけない」とわめくのでなく、
笑ったり、泣けたり、馬鹿だなあと思ったり、しながら
話が進行するロードムービー。
音楽映画と言ってもいいし
コメディーといってもいいのだけれど。
 なんだか絶えず、いい涙が出ていた。
これは書いてもネタバレにならないと思うが
ラストシーンの「手紙をありがとう」というセリフが
ほんとにハートウォーミングだ。

でも笑いの底に流れる、黒人霊歌の「ディープ・リバー」のような
深い深い悲しみを、どうしよう?
すべてのみなさんにおすすめします。
朝の11時半に新元号の発表。
10時半からジムにいて
他の人は自転車をこいだり、マシーンの上で
ジョギングしたりしながら、壁のテレビを見ていた。
ぼくはふだんは自転車の上で電子本で
このところはずっと宮城谷昌光の「呉漢」を読んでいるのだけれど
官房長官が入ってきたところからは、さすがにテレビに目をやった。

 ふだんは西暦を使っているし、元号は既成の書類に丸をつけるときくらいしか
使わないが、それでもちょっとわくわくする。
で「令和」だって。
この「令」をあてた人はいないのではないか?
「礼」ならいかにも漢籍の字で
「礼和」なら論語にありそうだ。
それに比べて「令和」はエッジのきいた命名。
「令」は命令の令で、今までいい意味も悪い意味も感じなかった字だ。
「昭和」の昭のように、画数は少ないがふだんあまり使わない字。
和はおなじみのおちつきのいい字。
ただ、昭和で使われたばかりだから
この字はないと勝手に思っていた。
 上の字がとんがっていて下の字がそれをうすめるのは
「昭和」と同じだ。

 客観的に言うと、人気投票の「安」や「永」が並んだものより
格上の名前に仕上がっていて上出来に見える。
令の音が冷蔵庫の冷と通音なので冷たい感じがするが
これは慣れていくのだろうし、なにより
年号のイメージや響きはそれが今後どんな時代になるかにかかるものだ。

きっと今年は「令ちゃん」や「令一くん」が大勢生まれるだろう。