杉の子保育会40年のつどい

杉の子保育会の星野勤・八重子さんご夫婦との
おつきあいは長い。
世田谷の千歳烏山の杉の子保育園に初めておじゃましたのは
もう30年も前になる。
それが世田谷区の中で姉妹園が増えて行き、
公立園もひきうけて今では11園。
最初乳幼児40人で始まったのが今では800人を越えている。

いっしょに一日保育園ごっこを何年も続けてきた。
研修会もやった。
小淵沢の家には毎年のように遊びに来てくれた。
その星野勤さんが急死したという連絡を受けたときは
ほんとうに驚いた。

で今日は杉の子保育会40周年・学びの集い。
場所は多摩プラザ。
うちからはあずさで立川まで行くとモノレールがあるので近い。
駅前の大きなホテルの広間。
各園から200人以上の保母さんが集まっている。
着いたら
ぼくと同じく招かれた友人の岩城敏之さんが保育について講演している。
ここでいっしょになるとは思わなかった。びっくり。

そのあとを受けてぼく。
まじめな話は岩城さんがしたので
ぼくは手遊びやことば遊びにものがたりをひとつ。
今日は星野勤さんの追悼の会でもあるので
思いで話をまぜ、「カエルの雨乞い」で盛大に雨を降らせて終了。

そのあとみんなで会食となる
藤本ともひこさんが隣の席。ひさしぶり。
藤本さんはぼくの用寛さんの絵を描いてくれた絵本作家であり
遊び歌の作家でもあるので
ステージで歌う。

最後はなんとずっと声楽をやっていた男性園長が前に出て
「レミゼラブル」の「民衆の歌」。
「怒れるものの歌が聞こえるか」
これが少しづつ保母が前に出てコーラスし、
後半からは他の園の園長も前に出て人数が増え
旗をふり手をふり
「苦難を越えてひらけ明日の保育」なんて歌詞で歌う。
もちろん、好きな歌だから
ぼくも席でいっしょに歌う。
保育園の集まりでフランス革命がらみの歌を聞くとは
夢にも思わなかった。
格調高いとてもいいフィナーレだった。

終了後、立川に戻り、あずさで戻る。
人身事故の影響で途中で停まり
3時間かかった。