帰ってきたらニュースがさわがしい。
森友問題で財務省側が公文書を改ざんしていたことが
発覚したという。
これはあってはならないこと。
いつぞやの石器を自分で埋めて自分で掘り出すことを
くりかえし、歴史をどんどん書き換えて行った事件に匹敵する。
たった一人、そういう人が出たために
あのとき、考古学の世界は完全に信用を失った。
今回の事件も同じ。
歴史を考えたとき、あとから調べる人は
文書から調べるしかない。
当事者が全員死んでいればインタビューはできない。
そういう時、公文書は一番基本となる史料だ。
それが変えられている可能性があるのなら、
そもそも歴史を調べるという
作業自体に信を置けないことになってしまう。
なにを信じたらいいか、わからなくなってしまう。
だからこそ、時の権力に関係なく、
公務員は事実を死守するのが仕事なのに…。
それも自分たちを利するためにやっている。
古い言い方だが
「万死に値する」ということばを思い出した。
先週、チェコのプラハに行ったとき、
名所カレル橋の上にヤン神父の
銅像があった。
ヤン神父は教会で皇后のざんげをうけた。
それを聞いた王は皇后がなにをざんげしたのか気になり、
神父に問いただした。
だが神父は「ざんげの秘密はたとえ相手が王でも言えない」と
断った。結果、王に殺された。実話だ。
ざんげというシステムの良しあしはぼくにはよくわからないが、
ここでヤン神父がしゃべっていたら
教会のそもそもの信用がなくなっていただろう。
ヤン神父は聖人に列せられた。
今回の財務省の判断は、命をとられるわけでもないのに
自分たちのつごうだけで、歴史をおもちゃにしたことになる。
みっともないことだ。
あまり、人を攻めることはしたくないが
今回はだめだと思う。