ポーランドは基本的に日本より寒い。
しかも3月になって暦の上では春だが
連日どんよりしている。
今日もそう。
なぜかポーランドのイメージは灰色で、そのイメージ通りの日になった。
朝、バスでクラクフから60キロ離れたアウシュビッツ収容所へ。
いよいよ来たという感じ。
自分の道徳の問題として、若い頃からいつかは訪れなければと勝手に思っていて、
しかし物見遊山で行っていいのかという思いもあって、後回しにしているうちに
こんなに時がたってしまった。
本での知識なら人一倍あるつもりだけれど、しかし、その土地の空気は
行って見なければわからないということもまた、人一倍わかる歳になった。
さすがに世界中から人が来ている。
駐車場はバスでぎっしり。
若者が多い。
グループごとに手荷物検査を受けて入場。
すぐに、映画で必ず見る「働けば自由になる」と書かれたアーチをくぐる。
もちろん、これは大ウソで戦争が終わる前に出られた人はいなかった。
約150万人がガス室や人体実験で命を落としたと言われている。
その大半がユダヤ人で、文字通りの絶滅収容所だった。
たてものごとに展示が違っていて、死者たちが残して行った遺品の
めがねや靴やカバンがそれぞれ山になっていて、
信じたくないが、これが本当にあったことだと否応なく知らされる。
でアウシュビッツで感じたことを全部書くと
とても1日の日記には書ききれないので
いずれということにして
とりあえず見たものだけを書くと
「死の壁」といわれた中庭の、規則違反者を後ろ向きに立たせて銃殺した場所。
わざと立ったままでしか過ごせないようになっているせまい牢屋、
真っ暗闇の牢屋、
コルベ神父が餓死刑になった牢屋、
ガス室。
ヘス所長が吊るされた絞首台。
そのあとバスで5分移動して、ビルケナウの収容所へ。
こちらはアウシュビッツよりはるかに敷地が広い。
正面に死の門といわれる門があり、まんなかにレールが
ひかれている。
そこを抜けたところが降車場で、映画で
大勢のユダヤ人が貨物列車からおろされるシーンがあるが
それがここ。
あまりにたくさんバラックがあって全部は見きれないが
まずトイレ棟を見学。
収容者たちがトイレに行けるのは1日2回だけ。
朝と夕方の決まった短い時間に
いっせいに行かされる。
下痢だろうが便秘だろうが関係ない。
夜はベッド棟から出られない。
トイレと言っても壁もドアもなく、長いベンチに
等間隔で何十も穴があいているだけ。
そのあと、ベッド棟へ。
ベッド棟は3段の蚕棚だが、ひとつのベッドに何人もいっしょに寝る。
一番いいのは上段。
いくらかでも暖かい空気が上に来るから。
ただし、雪が降ればすきまからふりつもるけれど。
下段が一番悪くで、寒くて、上段の者が洩らせばまともに浴びるし、
床にいるねずみにかじられる。
ねずみにかじられて菌でも移れば
働けない者は用済みということで殺されるから
無理して働くしかない。
トイレ棟に行かれないから床は汚物がいっぱい。
このトイレ棟とベッド棟を見ただけでも来た甲斐があった。
絞首台や死の壁がショッキングに見えるが
こちらの方が日常なだけに、より非人間的だ。
立ち去りたい思いがあるが、出発時間が近づき、おおいそぎで
買い物をする。
こういう場所なので観光土産があるはずはなく、
本と写真集と絵はがきだけ。
近くのレストランで遅めの昼食。
同行の男性が
「あんなの見ちゃうと飯が楽しくないね」と笑いながら言う。
ああ、いやだ。
もっとも、添乗員さんから聞いた話だが
ポーランドツアーでもクラクフとヴィエリチカ岩塩坑は定番だが、
アウシュビッツをあえてはずすツアーは
けっこうあるとのこと。
理由は楽しくないから。
だから基本の日程からはずして、行きたい人のためにフリータイムに
オプションのスケジュールを組むそうだ。
そうか、そういうものか。
たしかに「旅はそれぞれ」だけれど、
でも「楽しくなくても見ろ」って声が
自分の内側から聞こえてこないかなあ。
それから長時間バスに揺られて
夕方、ヴロツワフの街に入る。
ここの旧市街の広場はカラフルで
おとぎの国にいるよう。
小人の街として有名で町のそこかしこに
ブロンズの小人の像がある。
増え続けていて今では400もあるとか。
小人の像だから当然小さく、さがしながら歩くのが
街歩き観光になっている。
本屋の前では本を読んでいる小人、
パブの前ではへべれけになっている小人、
銀行の前ではATMでお金をひきだしている小人までいる。
夜、岩城さんとまた、ホテルを抜け出して
ライトアップされた旧市街を散歩。
夜中、ビルケナウで昼に買った写真集を見はじめたら
眠れなくなってしまう。