説教タイム

「説教」と「お説教」では
だいぶイメージが違うが、
法事の時にお坊さんからなにかことばをいただくのは
嬉しいものだ。
 ひさびさに説教をされている気になる。
年齢とともわかってくるものがある。
故人の話の後で
「散る桜 残る桜も 散る桜」なんていわれると
ほんとうにしみじみする。
 考えてみるとぼくらはまともな説教と言うのを
人生の中でもそんなに聞いてはいないのではないだろうか。

で「お説教」は誰でもいやだけれど、
「あえて説教をきく」というのはあってもいいのではないかなあ。
「なるほど」と思えるような話。
というわけで、小学校でのものがたりライブの中に
「2分で終る説教タイム」というのをやってみたらどうかなあと
リストを作り始めた。
なかみはほんとにワンテーマ。
こうしたら、ちょっと幸せになれる。
こうしたら、ちょっといい人になれる。
ということを具体的に提案する。
たとえば、レストランに入る時、自分のすぐ後ろに
人がいたら、あけたドアをすぐにしめずに
その人のためにちょっと持っていなさい。とか
そんなこと。
 気が付けばだれでもできることで、しかし、そういうことの積み重ねが
本人も世の中をもちょっといい方向にころがしていく気がする。
で、ぼくはものがたりの中にろこつなメッセージを入れるのは
好きではないので、これはこれとして説教として渡し、
あとはまたおばかなものがたりをつなげてみるというスタイルは
どうかなあ…とちょっと思った。
 今度、実験してみよう。