朝8時。2泊したニズワのホテルをバスで出発。
あいかわらず、荒野としかいいようのない景色の中を
2時間ほど走ったところで、車を4駆に乗り換える。
ぼくらの車は男ばかり4人。
席はじゃんけんで決めるが昨日はぼくは一番負けて
後ろの3人掛けの真ん中だった。
でも、今日はその反対側からという約束だったので
しっかり助手席をいただく。
で、待望の砂漠ドライブになる。
助手席だから大迫力。
オマーンにはルブアルハリ砂漠とワヒバ砂漠があり、ここはワヒバ砂漠。
「おお、ついに砂漠だ。鳥取砂丘ではない、ほんとの砂漠」と嬉しくなる。
地平線までどこまでも赤い砂しかない。
途中にはラクダも歩いている。
それも観光用ではないラクダ。
途中、ベドウィン族のテントに寄る。
ベドウィン族は砂漠を遊牧する民だが近年は定住の方向にある。
やはり子どもを学校に行かせるし、水の問題が大きいからとのこと。
オマーンコーヒーをごちそうになる。
のっぽのポットの中にコーヒー粉を入れ、煮出して上澄みを飲む。
またしばらく行ったところで車をおり、歩く。
サンダルにはきかえる人もいる。ぼくもそうする。
ほかになにもないひろさのなかをペタペタ歩いていて、これはここで
砂嵐にあって方角がわからなくなったら…
水も食べ物もなくなったら…どこにもたどりつけずに干乾しになって死ぬしかない…
ということがはっきりイメージできた。
だが、そんななにもない砂漠の中に忽然とレストランがあり、到着。お昼。
ここから後ろの砂丘に上がるが、砂はこまかく3歩進んで2歩さがる状態。
はだしになってロープにつかまって手の力だけで登る感じ。
高さは何十メートルあるのだろうか。
悪戦するが、子どものようにしゃにむになって一番で砂山のてっぺんにはいあがる。
で、はいあがった甲斐があって、上には子どもの頃夢見た
「月の砂漠」の歌どおりの景色があった。
もちろん車のタイヤの跡も人の足跡もなく、
はるか地平線まで赤く柔らかい砂の丘が続き、ほかにはなにもない。
風紋のみ。
ただ、うっとり。来てよかった。
おりて食事をし、四駆で砂漠にさよならする。
それからまたずいぶん走る。
オマーンは複雑な地形でけっこう峠もある。
断層もいろいろ、山の形もいろいろ。
一行の中に地学に詳しい人がいて、隆起地形とか火山地形とか
がけの様子を見ながらいろいろ説明してくれるが
本人が「これはすごい」と大興奮している。
ワディ・バニ・ハリットというオアシスに着く。
オアシスが近づくと
なにもない荒れ地の向こうにナツメヤシの群落が見えてくるからわかる。
泉で欧米の皆さんが泳いでいる。
水の中にはドクターフィッシュという、人の足の角質を好む魚がたくさんいて
足をつけると寄ってきてチュウチュウ吸われる。
確かに疲れがとれた気がする。
そこからまたしばらく走ったところで四駆から専用のバスにまたのりかえ、
夕方6時、暗くなった頃、スールの町のホテルに入る。
ここはシンドバッドが出航したといわれる海沿いの町だ。
長い旅だった。
ところが今日はまだ終わらない。
チェックインだけしてすぐ、またバスに1時間乗り、
南のラスアルジーンズという町に行く。
ここは夜にウミガメの産卵が見られるところで
ウミガメセンターには欧米人中心に200人からの人が
食事をしながら待機していた。
自然相手だから、その日に海からカメが上がってくるかどうかはわからない。
実際、昨日と一昨日はいっぴきも来ず、空振りだったという。
毎晩8時半になると専門スタッフがうらの浜に確認に行くのだそうだ。
そうしたら放送が入って「今日は来ています」という。ラッキー。
さっそくいろいろな国の人がいくつかの班にわかれ、
ディスターシャを着たガイドさんについて時間差で出発する。
歩くこと10分。ガイドさんが「全員、懐中電灯を消せ」という。
あとはガイドさんの赤いライトで砂を照らすと
体長1メートル以上のアオウミガメが砂を掘っていた。
これはすでに産卵を終え、そこから1メートルくらい離れたところに
カモフラージュでにせの穴を掘っている最中なのだそうだ。
母親はがんばる。
でも、こんなにがんばっても大人になれるのは1000個の卵のうち5個くらい。
2か月後にうまく孵っても、すぐカモメに食べられたり、海の方向に行けず
朝になって干乾しになったり、さらになんとか
海に入れても荒波にたたきつけられたりして死んでしまうとのこと。
結局今夜は3匹のカメを見られた。
しかもさらについていたことに今、生まれたばかりで砂の上をヨチヨチはっている
ウミガメの赤ん坊に出会えた。
体長5センチくらい。
なんとか朝が来る前に海にたどりついてほしい。
ホテルに戻ってきたのは夜の11時過ぎ。
ほんとに長い1日だった。