ある世捨て人の物語

「ある世捨て人の物語」読了。
アメリカのライターによるノンフィクション。
2013年の4月、アメリカのメーン州の森の
別荘地で空き巣がつかまる。
 1965年生まれの男だ。
で、調べていくうちにわかったことは
この空き巣は1986年に森に入り、今まで
27年間、森の中にそっとテントを張り、
誰にもあわず、暮らしてきたということ。
まさに隠者の暮らし。
ただ、自給自足で畑を作るとかいうのでなく、
近くの別荘地に1000回くらい、しのびこんで
食糧を調達していたのだけれど。

 で、そのどろぼうの部分をわりびくと
話は深遠だ。
20歳の時にとつぜん思い立って
ほとんど手ぶらで森に入り、
そのままテントで暮らし始めてしまう。
人生に絶望するような事件があったわけではない。
なにかの思想や信仰にもとづくものでもない。
ただ、そうしたいと思っただけだという。
 で、つかまったときが47歳。
つかまらなければこのままずっと森の中で暮らし、
誰にも知られずに死んでいったのだろう。
 半年は雪に埋もれるあたりで、火をたけば
煙で見つかる可能性があるからと、寒さにただ耐えて
野外で暮らしていく。
人に会ったのは27年間でたった一度。
たまたまハイカーとでっくわしたときだけ。
 そうそう、できることではない。

日記はつけない。
自分の考えを誰かに見られるなんてまっぴらだという。
ほんとになにも残そうとしない。
週に一回、別荘にしのびこみに行くほかは
森の中でただじっとしている。
それで退屈と言うことはない。
「退屈ということばの意味がよくわからない」とさえ言う。

拘置所でライターとの接見に応じ、
それが話の核になっていくのだが、おもしろかったのは
別荘で書物があるとたいてい持ってきてしまう。
その書評をしているところ。
「聖書はいらない」とか「森の生活を書いたソローは全然だめ」とか
刺激的だ。
一番好きなのはソクラテスらしい。
ほー、と思う。

ぼく自身は孤独はきらいではない。
むしろ好きだ。
できれば、紙と鉛筆さえいただければ
誰とも口をきかずにそうとう長い時間を耐えられると思う。
高校生の時、春休みに奥秩父の雲取山の2000メートルの山頂に立つ
無人の避難小屋に寝袋をもっていって3泊したことがある。
本を何冊もしょっていった。
夕方になると登山者が来るから夜は誰かといっしょだったが
日中は一人で雪の上でひなたぼっこしながら本を読んだ。
楽しかった。

ただ、孤独を苦痛と思う人はとても大勢いて
だからそれが刑罰となる。
独居房に放り込まれ、他人から隔離されるのは
重い刑罰になりうるのだ。
確かに、その孤独を至福と感じるか苦痛と感じるかは
それを自ら選んだものか、不本意に与えられたものかにかかるのかもしれない。
 それにしてもおもしろい生涯。
このあとの人生に喜びをみいだせるのだろうか?