東京へ

ポーランド最終日。
フライトは午後2時なのでホテルを出るのは午前11時半。
それまではフリータイム。
限られた時間だが、ずっとホテルにいるのはもったいなさすぎる。
昨日は早起きして近くの公園を散歩したが、今日は遠出しなければ。
たいていの人は昨日の旧市街までバスかタクシーで行って買い物するか
駅近くのスターリンの置き土産といわれる文化科学宮殿の展望台に登るかを考えているよう。

こういうとき、岩城さんといっしょだと強い。
互いに行きたいところを言い合うと
岩城さんはユダヤ教会とユダヤ歴史博物館。
ぼくはワルシャワ蜂起記念館。
で、岩城さんが夕べのうちに
持参のタブレットを駆使して
バスの路線や時間まで調べに調べて
両方回るコースを策定してくれた。
ぼくはそのプランにのるだけ。

7時半に二人でホテルを出てバスに乗る。
この町のバスは停まったら
乗る側がドアの横のボタンを押さないと開いてくれない。
前の人がそうしたのでわかった。
寒い国ではその方が合理的だ。

チケットは買えば、同じチケットでバスでも路面電車でも地下鉄でも乗れる。
それも距離でなく時間制で20分チケットと75分チケットがあって値段が違う。
75分以内なら何本乗ってもどこまで行ってもいい。
 そういうしくみは去年ブタペストの市電で学習した。

でバスでユダヤ歴史博物館。ただし、まだ開館時間までは2時間もあるので
外観のみ。
今度は路面電車に乗ってユダヤの教会へ。
正面にユダヤの星がついている協会はふだんなら入れるはずだが
今日は日曜日でミサがあり、入れなかった。
 ここから地下鉄に乗ってワルシャワ蜂起記念館。
10時開館と同時にとびこむ。
開館前から行列ができていてすでに人でいっぱい。
日本語のガイドレシーバーを借りて中を歩き回る。
 ワルシャワ蜂起関連の実物をたくさん置いた、臨場感のある、とてもいい展示だ。

それにしてもワルシャワ蜂起はいたましい。
1944年の夏、ソ連の赤軍がドイツに占領されているポーランドに入り込んできて
ドイツ軍を攻撃し、首都のワルシャワまで10キロの地点にせまる。
赤軍はワルシャワの市民に「共に決起せよ」とプロパガンダを流す。
ワルシャワ市民が故国のために
武器を持ってドイツ相手にたちあがる。
怒ったヒットラーが徹底的な壊滅を命ずる。
ところがここに来て頼みの綱の赤軍は傍観してワルシャワに入ってこない。
ワルシャワ市民にすれば、二階に上がってはしごを外された形。
「ソ連に乗せられたポーランドが甘い」といえばそれまでだが
完全に翻弄された形でワルシャワは破壊しつくされ、
20万を越える人が2か月の間に亡くなり、蜂起は鎮圧されて終わる。
そのあとに赤軍が入ってきて、戦後はポーランドを
ソ連の衛星国にしてしまう。
 自国は侵略などしないのに、
ヒットラーのドイツとスターリンのソ連にはさまれた場所にあるため
両方からひどいめにあっているというのが、ポーランドの近代史だ。

もっと見たいが残念ながら集合時間が近づいている。
また地下鉄とバスをのりついで
11時半に無事にホテルに戻る。
11時45分ホテルをみんなで出発。
ワルシャワ・ショパン空港へ向かう。