意地を捨てるくらいなんだ

昨日の選挙の話の続き。

海音寺潮五郎の短編に「善助と万助」という短編がある。
 今でも読むと胸が熱くなって、いい涙があふれる。
殿さまの前で2人の家老が言い争いをして一触即発となったとき、
1人が「自分にも意地がある!」と叫ぶと
もう一人が「意地を捨てるくらいなんだ! もっと大きなことを成す為には
意地なんかにこだわっていてはいけないのだ!」と、どやす。
で、和解していくのだが、この本にはぼくもどやされた気がした。

 選挙の時、自分のポリシーと心中してはいけないのだ。
うちの亡くなった父親は都知事選と言うと「大岡越前守」と
いつも書いていたらしい。
いかにもうちの父親らしいのだが、まあ、こまったものだ。
たとえそれが自分の理想だとしても
なんの力にもならない。
勝ち負けを考えていない。
自己満足で終る。
現実を変えることはできない。
 だから次善でも三善でも、ひどい者同士でも、
自分の理想とはだいぶ違っても
少しでもよさそうで、かつ、がんばれば勝つ見込みがある人を選ぶことを
ねばりつよくくりかえしていくしかない。
 と、ぼくは思うようになった。

棄権して投票率を下げて「あなたたちは国民の支持を得ていないんですよ」と
アピールしたつもりでも、それは当選した議員たちには届かず
やりたいことをやっていってしまうだけ。
現実にそういう人たちが日本を代表して外交や国防をするのだから。