昨日、サーカスのことを書いて改めて思いだしたが
ぼくが中学や高校の頃、一番熱中したのは
ミュージカルだった。
小学生の時、親に映画の「メリーポピンズ」と
「サウンドオブミュージック」に連れて行ってもらった。
それからあとはずっと帝劇や東宝劇場に生を見に行っていた。
生は「オリバー」が最初で、それから染五郎の「ラマンチャの男」、
森繁の「屋根の上のバイオリン弾き」、加橋かつみの「ヘアー」とか
ブロードウェイ系からアングラまで片っ端から見た。
高校ではアルバイトをしていたから、収入はチケット代に消えた。
もちろん寄席や歌舞伎も別に通ったし、
そういうものが好きな友人なんていなかったし、
いつだって一人だ。
高校では公害問題の市民活動や学校の教育問題にも首をつっこんでいたから
なんとなく舞台に通うのを公言するのははばかられる雰囲気があって
ほんとにこっそり行っていた。
映画ももちろんいろいろ見たが、まったくなかみを知らないまま
キネ旬の上位に入っていたというだけで行ったフレンチミュージカルの
「シェルブールの雨傘」に、ちょっと価値観が変わった。
単純なハッピーエンドでないミュージカルもあるんだ…ではなく
これはこれで人生にはこういう幸福の作り方もあるんだというような…
苦みの入った終わり方。
今でもすべてのシーンを思い出せる。
中学の謝恩会ではぼくのクラスは踊りをすることになった。
ぼくは振付担当で、曲はエノケンがだみ声で歌う「サンフランシスコ」。
「ウエストサイドストーリー」のジョージチャキリスきどりで
全員首にネッカチーフをまいて踊らせた。
これは今、ついでに思い出してしまったが、おぞましい。
振付師はならなくてよかった。
で、ここまで来て思うのは、なんでも見ておくものだということ。
今、ものがたりを作るような仕事についているのは
ほんとにたくさんのものがたりにふれてきたからなんだとつくづく思う。
プロのピアニストとアマのピアニストのなにが違うかと言えば
小さいころからピアノにふれてきた時間が絶対的に違う。
スケーターもテニスプレーヤーも将棋の棋士も
プロとアマでは、ふれてきた時間が絶対的に違う。
ぼくはものがたりにふれてきた時間がやはり長いから
娯楽の力を信じることができる。
それが短いとつい、いいメッセージがあるのが
いいものがたりなんだとか、御託を並べてしまったりする。
いいもわるいもあるが、とにかく
たくさんのものがたりに心をおどらせるということそのものが
人をいかす道につながっているに違いない。